単純ヘルペスウィルスの感染機構
概要
HSVは脳炎や性器ヘルペス、皮膚疾患、眼疾患、小児ヘルペスなど、多様な疾患を引き起こす病原性ウイルスであり、日本だけでも年間約8万人が治療を受けると言われています。特に、脳炎は重篤であり、致死的もしくは重度の後遺症が残る場合があります(図1)。
図1 単純ヘルペスウィルス感染症について
従って、HSVの感染機構の解明は、これらの感染症を制御するうえで大変重要であると考えられます。 HSVのウイルス粒子の表面には種々の糖たんぱく質が存在し、その中でもglycoprotein D (gD)とglycoprotein B (gB)が必須な分子として知られています。これまでに、gDが細胞表面分子であるHVEMやNectinと会合することが知られており、gDとこれらの分子との相互作用がHSVの感染に重要な役割を担っていると考えられてきました。一方、gBはHSVの感染の際にウイルスと細胞間で起こる膜融合に関与する分子として、重要な役割を担っていると考えられてきましたが、どのような細胞表面分子と会合するかは不明でした。 今回、本研究グループはgBがPILRという細胞表面分子と会合することにより、ウイルス粒子と細胞との間で膜融合が起こり、HSVの感染が成立することを発見しました。特に、今まで報告されてきたgDとそのレセプターとの相互作用のみでは十分でなく、gDとgBがそれぞれ特異的なレセプターと会合することがHSVの感染に必要であることを突き止めました。 本研究は、HSVの感染機構の解明ばかりでなく、HSV感染症に対する新たな治療法の開発に貢献するうえでも重要な成果であると思われます。 本研究成果は、2008年3月21日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Cell」に掲載されました。
本研究の背景
前述のように、HSVのウイルス粒子の表面には種々の糖たんぱく質が存在し、その中でもglycoprotein D (gD)とglycoprotein B(gB)が必須な分子として知られています。これまでに、gDが細胞表面分子であるHVEMやNectinと会合することが知られており、gDとこれらの分子との相互作用が重要な役割を担っていると考えられてきました。一方、gBは膜融合*1に関与する分子として、重要な機能を担っていると考えられてきましたが、細胞表面分子のどのような分子と会合するかは不明でした(図2)。
図2 今まで考えられてきた単純ヘルペスウイルスの感染機構
従って、gBと特異的に会合する分子の同定は、HSVの感染機構を解明する上で非常に重要であると考えられています。
本研究の内容
Paired Immunoglobulin-like type 2 Receptor ア(PILR)*2は哺乳動物に広く保存された細胞表面分子であり、免疫細胞ばかりでなく、神経細胞を含めて種々の細胞に発現が認められます。本研究チームは、まず、PILRが単純ヘルペスウイルスのgBと特異的に会合することを発見しました(図3)。
図3 PILRアはgBと特異的に会合する
また、PILR発現細胞に対するHSVの感染を解析することにより、HSVがPILR発現細胞に感染するようになること(図4)、さらに、PILR発現細胞に対する感染は抗PILR抗体で阻害されることを突き止めました(図5)。
図4 PILRア発現細胞へのHSV-1感染
図5 抗PILR抗体によるHSV感染の阻害
一方、gBはHSVが細胞に感染する際の膜融合に関与していることが知られています。そこで、PILR発現細胞とgB発現細胞を共培養し、膜融合を解析すると、gBがPILRと会合することにより細胞融合が誘導されることが明らかになりました(図6)。
図6 PILRアとHSV gBの相互作用によって膜融合が引き起こる
このことから、gBとPILRの相互作用がHSVの感染に重要な機能を担っていることが判明しました。 次に、HSVの感染に必須であることが知られているgDの機能について解析しました。gBのレセプターであることが分かったPILRと、gDのレセプターであるHVEMの双方が発現している細胞に対するHSVの感染を調べてみると、抗PILR抗体、抗HVEM抗体のいずれによっても感染が阻害されることが明らかになりました(図7)。
図7 gDのレセプターとgBのレセプター双方がHSVの感染に必要である
また、gD欠損ウイルスはPILR発現細胞に感染しないことが判明しました。これらの研究結果より、gBとPILRの相互作用だけではHSVの感染に十分でなく、gDとgBがそれぞれのレセプターと会合することがHSVの感染に重要であることが分かりました(図8)。
図8 本研究で明らかになった単純ヘルペスウイルスの感染機構
このように、本研究によって初めて、gBが細胞表面の特定のレセプター分子と会合することがHSVの感染に重要な機能を担っていることが判明しました。
本研究の成果
本研究により、免疫応答を抑制するレセプターがウイルスの感染に用いられることが分かりました。ウイルスは抑制化レセプターを利用することで、ウイルスに対する免疫応答を抑えながら宿主細胞に侵入していると思われます。このような感染機構は他のウイルスにとっても有利であるため、PILRは他のウイルスの感染にも関与している可能性が考えられます。HSVの治療には現在、世界中でアシクロビル*3が多用されていますが、アシクロビルは感染細胞に殺傷的に働くため、感染そのものを阻害することはできません。特に脳など再性能が無い細胞での感染では、感染の広がりを迅速に阻害することが予後を良くする上で重要であると思われます。また、アシクロビル耐性のHSVも報告されています。PILRとgBとの相互作用を阻害する抗PILR抗体などがHSVの感染を阻害することから、PILRとgBとの相互作用を阻害する薬剤は、アシクロビルとは異なる作用機序を持つ抗ウイルス剤として有用であると思われます(図9)。
図9 本研究の意義
用語解説
*1:膜融合
ヘルペスウイルスが細胞に感染する際に、ウイルスのエンベロープと細胞膜とが融合し、ウイルスの内容物であるカプシドが細胞質内に放出される。
*2:Paired Immunoglobulin-like type 2 Receptorα (PILR)
哺乳動物に広く分布する細胞表面分子であり、免疫細胞に抑制化シグナルを伝達する。ヒトでは、免疫細胞以外に神経細胞にも発現が認められる。
*3:アシクロビル
現在使われている代表的な抗ヘルペスウイルス薬であり、感染細胞に対して殺傷的に働くが、ウイルスの感染そのものは阻害しない。また、アシクロビルに耐性を示すヘルペスウイルスも報告されている。
掲載論文・雑誌
"PILRα is a herpes simplex virus-1 entry co-receptor that associates with glycoprotein B" (PILRαは、Glycoprotein Bと会合する単純ヘルペスウイルスのエントリー共レセプターである)
単純ヘルペスウィルスの感染機構
概要
HSVは脳炎や性器ヘルペス、皮膚疾患、眼疾患、小児ヘルペスなど、多様な疾患を引き起こす病原性ウイルスであり、日本だけでも年間約8万人が治療を受けると言われています。特に、脳炎は重篤であり、致死的もしくは重度の後遺症が残る場合があります(図1)。
図1 単純ヘルペスウィルス感染症について
従って、HSVの感染機構の解明は、これらの感染症を制御するうえで大変重要であると考えられます。 HSVのウイルス粒子の表面には種々の糖たんぱく質が存在し、その中でもglycoprotein D (gD)とglycoprotein B (gB)が必須な分子として知られています。これまでに、gDが細胞表面分子であるHVEMやNectinと会合することが知られており、gDとこれらの分子との相互作用がHSVの感染に重要な役割を担っていると考えられてきました。一方、gBはHSVの感染の際にウイルスと細胞間で起こる膜融合に関与する分子として、重要な役割を担っていると考えられてきましたが、どのような細胞表面分子と会合するかは不明でした。 今回、本研究グループはgBがPILRという細胞表面分子と会合することにより、ウイルス粒子と細胞との間で膜融合が起こり、HSVの感染が成立することを発見しました。特に、今まで報告されてきたgDとそのレセプターとの相互作用のみでは十分でなく、gDとgBがそれぞれ特異的なレセプターと会合することがHSVの感染に必要であることを突き止めました。 本研究は、HSVの感染機構の解明ばかりでなく、HSV感染症に対する新たな治療法の開発に貢献するうえでも重要な成果であると思われます。 本研究成果は、2008年3月21日(米国東部時間)発行の米国科学雑誌「Cell」に掲載されました。
本研究の背景
前述のように、HSVのウイルス粒子の表面には種々の糖たんぱく質が存在し、その中でもglycoprotein D (gD)とglycoprotein B(gB)が必須な分子として知られています。これまでに、gDが細胞表面分子であるHVEMやNectinと会合することが知られており、gDとこれらの分子との相互作用が重要な役割を担っていると考えられてきました。一方、gBは膜融合*1に関与する分子として、重要な機能を担っていると考えられてきましたが、細胞表面分子のどのような分子と会合するかは不明でした(図2)。
図2 今まで考えられてきた単純ヘルペスウイルスの感染機構
従って、gBと特異的に会合する分子の同定は、HSVの感染機構を解明する上で非常に重要であると考えられています。
本研究の内容
Paired Immunoglobulin-like type 2 Receptor ア(PILR)*2は哺乳動物に広く保存された細胞表面分子であり、免疫細胞ばかりでなく、神経細胞を含めて種々の細胞に発現が認められます。本研究チームは、まず、PILRが単純ヘルペスウイルスのgBと特異的に会合することを発見しました(図3)。
図3 PILRアはgBと特異的に会合する
また、PILR発現細胞に対するHSVの感染を解析することにより、HSVがPILR発現細胞に感染するようになること(図4)、さらに、PILR発現細胞に対する感染は抗PILR抗体で阻害されることを突き止めました(図5)。
図4 PILRア発現細胞へのHSV-1感染
図5 抗PILR抗体によるHSV感染の阻害
一方、gBはHSVが細胞に感染する際の膜融合に関与していることが知られています。そこで、PILR発現細胞とgB発現細胞を共培養し、膜融合を解析すると、gBがPILRと会合することにより細胞融合が誘導されることが明らかになりました(図6)。
図6 PILRアとHSV gBの相互作用によって膜融合が引き起こる
このことから、gBとPILRの相互作用がHSVの感染に重要な機能を担っていることが判明しました。 次に、HSVの感染に必須であることが知られているgDの機能について解析しました。gBのレセプターであることが分かったPILRと、gDのレセプターであるHVEMの双方が発現している細胞に対するHSVの感染を調べてみると、抗PILR抗体、抗HVEM抗体のいずれによっても感染が阻害されることが明らかになりました(図7)。
図7 gDのレセプターとgBのレセプター双方がHSVの感染に必要である
また、gD欠損ウイルスはPILR発現細胞に感染しないことが判明しました。これらの研究結果より、gBとPILRの相互作用だけではHSVの感染に十分でなく、gDとgBがそれぞれのレセプターと会合することがHSVの感染に重要であることが分かりました(図8)。
図8 本研究で明らかになった単純ヘルペスウイルスの感染機構
このように、本研究によって初めて、gBが細胞表面の特定のレセプター分子と会合することがHSVの感染に重要な機能を担っていることが判明しました。
本研究の成果
本研究により、免疫応答を抑制するレセプターがウイルスの感染に用いられることが分かりました。ウイルスは抑制化レセプターを利用することで、ウイルスに対する免疫応答を抑えながら宿主細胞に侵入していると思われます。このような感染機構は他のウイルスにとっても有利であるため、PILRは他のウイルスの感染にも関与している可能性が考えられます。HSVの治療には現在、世界中でアシクロビル*3が多用されていますが、アシクロビルは感染細胞に殺傷的に働くため、感染そのものを阻害することはできません。特に脳など再性能が無い細胞での感染では、感染の広がりを迅速に阻害することが予後を良くする上で重要であると思われます。また、アシクロビル耐性のHSVも報告されています。PILRとgBとの相互作用を阻害する抗PILR抗体などがHSVの感染を阻害することから、PILRとgBとの相互作用を阻害する薬剤は、アシクロビルとは異なる作用機序を持つ抗ウイルス剤として有用であると思われます(図9)。
図9 本研究の意義
用語解説
*1:膜融合
ヘルペスウイルスが細胞に感染する際に、ウイルスのエンベロープと細胞膜とが融合し、ウイルスの内容物であるカプシドが細胞質内に放出される。
*2:Paired Immunoglobulin-like type 2 Receptorα (PILR)
哺乳動物に広く分布する細胞表面分子であり、免疫細胞に抑制化シグナルを伝達する。ヒトでは、免疫細胞以外に神経細胞にも発現が認められる。
*3:アシクロビル
現在使われている代表的な抗ヘルペスウイルス薬であり、感染細胞に対して殺傷的に働くが、ウイルスの感染そのものは阻害しない。また、アシクロビルに耐性を示すヘルペスウイルスも報告されている。
掲載論文・雑誌
"PILRα is a herpes simplex virus-1 entry co-receptor that associates with glycoprotein B" (PILRαは、Glycoprotein Bと会合する単純ヘルペスウイルスのエントリー共レセプターである)